<バンド活動休止に際して>

このRadioactive sideburnというバンドの起源は意外と古く、
時は2003年にまで遡ります。
当時高校2年生、同じ学校の同級生だった僕らは、
最初は2ギター、1ベース、1ドラム、1ボーカルという形でスタートしました。
結成当初はただのコピーバンドだったのですが、
2回目のライブくらい?からオリジナル曲をやるようになりました。
高校在学中のときは、ライブも3ヶ月に1本やれば多いほうで、
バンド活動は完全に「合奏して遊ぶ」という行為が楽しくてやっていたものでした。

大学生になって、バンド活動が曖昧な時期があり、
そこでギターを一本抜いた形でまたバンド活動が始まったのが2005年。
実際に「上を目指す」という意識の基活動を始めた時期でした。
しかし、それぞれの新しい生活が始まったばかりで活動もままならず、
初代ドラマーが抜けたのが翌年の2006年の事でした。
そこで新ドラマーとして加入したのが本田君で、
実は僕等が当時本田君が在籍していたバンドから引き抜いてきた、
という形になったのでした。
そこからバンド活動は本格的に始動、
インディーズシーンで(素人として)、バンドと呼んでもらえるほどに
進歩したと今では感じています。
僕としては、当時メンバーが脱退したことが自分のなかで
看過できる出来事ではなかったので、
自分も含めてほかのメンバーのバンドに対する意識が
変わったのではないかな、と推察しています。

バンドのリーダーという立場上、全員のスケジュールの把握、
資金管理など雑務が多く、また時間にルーズなメンバーたちに憤りを募らせたり、
また自分の方針が間違っていないかなど心労は絶えませんでしたが、
ここまで進歩した(とは言ってもまだまだヒヨッコですが…)バンドのなかで、
自分のやりたいことをすき放題やらせてもらったこと、
また、僕のわがままに着いてきてくれたことは、
ほかのメンバーには感謝の意を示したいと思います。
本当にありがとうございました。

それと、拙い演奏でしたが今までライブを見に来てくれた皆さん、
バンド活動を通じてお世話になった皆さん(特にPoP Unitedの皆様)、
ありがとうございました。

解散するわけでもないのに仰々しい内容でしたが、
何かに駆られて走り続けた音楽活動。
自己表現のツールとして作り続けた楽曲。
これで一区切りついたな、と感じています。
華やかでもない、野郎一色の青春でしたが、悪くないなと思っています。

それではまた、復活の折に。
また春にお会いましょう。

Radioactive Sideburnリーダー 内野隆

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